ニュース蔵

気になるニュースの裏側まで追いかけちゃいます!

*

今川義元の首・墓は今どこに?子孫についても調査!

   

桶狭間の戦いで織田信長に討たれた
戦国武将・今川義元。

織田信長の大逆転劇としてドラマや
小説にも必ず登場するエピソードですね。

首塚・胴塚の場所

桶狭間の戦いで織田家の家臣・毛利良勝に
首を獲られた今川義元。

その首は織田軍の手にありましたが、
のちに義元の重臣・岡部元信に返還され
領地の駿河に帰る道中に愛知県西尾市の
東向寺に埋葬され、現在も首塚と伝わる
石塔が残っています。

胴体も家臣たちによって運ばれましたが、
道中、遺体の損傷が激しくなったため
愛知県豊川市牛久保町の大聖寺に埋葬され
やはり胴塚と伝わる石塔が残っています。

桶狭間の戦いが5月でしたので、途中で
遺体が傷んでしまったために埋葬した
というのはリアリティありますね。

子孫は?

義元の死後はその嫡子・氏真が家督を
継ぎますが、家臣の松平元康
(のちの徳川家康)が離反し独立。

それに倣ってほかの配下が離反した
ことで領内は混乱。

縁戚関係だった甲斐の武田家からも
縁を切られたうえに家康と共謀して
侵攻され、氏真は駿河を追われる
こととなりました。

桶狭間での信長による奇襲攻撃を境に
今川家は領地を追われるまでに
没落したんですね。

駿河を追われた氏真は京都で隠棲
していましたが、江戸時代に入り、
家康に召し出されて高家旗本に
取り立てられています。

「敗軍の将なのになぜ?」と思いますが、
じつは今川家は室町将軍・足利家に
連なる名家。

忠臣蔵で有名なあの吉良家の分家であり、
足利家・吉良家・今川家と将軍の
継承順位も3位に位置付けられていた
のだとか。

「高家旗本」という役職も儀式や典礼を司る
役目ですので、家格の高い今川家には
ピッタリだったというわけですね。

以後、江戸時代には高家旗本として500石を
与えられ存続。

のちに氏真の孫・直房の代でその功績から
さらに500石を加増され禄高1000石と
なっています。

幕末、当時の当主・範叙は唯一
若年寄の要職に就任。

江戸城の無血開城に
尽力したのだそうです。

しかし嫡男に先立たれ、
明治維新後は没落。

範叙の死によって今川宗家は
断絶してしまいました。

これだけの名家でも激動の明治維新の中で
絶えてしまったんですね。

今川家の菩提寺は杉並区にある観泉寺と
同じ杉並区の長延寺。

観泉寺のあたりの住所「杉並区今川」は
元は今川家の所領であったことの
名残りなのだそうです。

歴史がお好きな方はブラタモリばりに
訪れてみてはいかがでしょうか。

スポンサードリンク

 - 国内ニュース