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豊臣秀頼は優秀だった?巨漢という記述・遺骨はあるの?

   

天下人・豊臣秀吉の三男で豊臣家の
最後の当主だった豊臣秀頼。

世間では父・秀吉にくらべて凡庸で頼りない
人物という印象がありますが、古文書からは
思いのほか優秀であったことが窺えます。

じつは優秀?

秀頼というと豊臣家が滅ぼしてしまった
暗愚な人物という印象ですが、実際には
だいぶ印象が違う人物だったようです。

江戸前期に書かれた秀頼の伝記「豊内記」
では「礼を重んじて義を行う」「私欲を
哀れんで民を哀れみ、国家が豊かになる
ことを朝夕念じていた」という非常に
清廉な人柄だったのだとか。

また、公家としての教育を受けていた
ようで、伝承される筆跡は非常に評価が
高いのだそうです。

あの徳川家康が秀頼と会見したのち、腹心の
本多正純に「(秀頼は)賢き人なり」
と漏らしたそうで、それが家康を豊臣家の
滅亡に走らせたという見方もあります。

あくまで推測でしかないですが、秀頼という
人物は天下人・秀吉の元に生まれたただの
無能なボンボンだったというわけでは
なさそうですね。

ものすごい巨漢ぶり

江戸中期に書かれた随筆「明良洪範」に
よると身長6尺5寸・体重43貫とあり、
現在の単位にすると約197cm・約161kg。

これ現代人にしても相当な巨漢ですね。

相撲界でも横綱・白鵬が身長192cm・155kg
ですから、それよりもひと回り大きいことに
なりますね。

当時の日本人男性の平均が160cm未満だった
ことを考えると、化け物みたいに映ったかも
しれませんね。

家康が秀頼と会見した際、その巨漢ぶりから
来るカリスマ性に恐怖し、豊臣家を潰すこと
を決意したという記録もあるのだとか。

159cmと伝わる家康からすれば197cmの秀頼は
恐怖するに十分ではあるでしょう。

秀吉が57歳でもうけた子であり、それまでに
もうけた子は夭折していることから、
秀頼は生まれつき病弱で貧弱な人物だった
のかと思いきや、すさまじい偉丈夫だったん
ですね。

遺骨・墓所は?

大坂の陣において追い詰められて
大坂城山里丸(やまざとまる)にて
母・淀殿とともに自害した秀頼。

現在、山里丸跡には「自害の地」として
石碑が建っています。

遺骨はみつかっておらず、そのため
生存説もいくつか残っています。

国松という嫡子がいましたが、
逃亡後に捕らえられ殺害。

豊臣家は完全に滅亡したと思われましたが
江戸時代の元禄元年に亡くなった求厭という
僧侶が臨終の間際に「自分は秀頼の次男だ」
と語ったのだとか。

死の間際は人間嘘はつかないなんて
言いますが、事実だったんでしょうか。

いずれにせよ豊臣家は徳川によって
滅ぼされています。

昭和55年に大坂城三ノ丸跡の発掘調査で
複数の遺骨が見つかり、うち一つが
20代男性で刀による介錯跡もあったことから
「秀頼の遺骨か?」という見方もあった
のだとか。

この遺骨は現在、京都の清凉寺に
埋葬されているそうです。

まぁDNA鑑定というわけにもいきませんから
本人と特定するのは難しいでしょうから
永遠の歴史のミステリーですね。

もし、大阪城にお越しになる機会があれば
山里丸跡にも足を運んで秀頼最期の地で
歴史に思いを馳せてみてはいかが
でしょうか。

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