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和田重次郎の経歴がすごすぎる!波乱万丈の生涯・子孫は?

   

北米で有名な犬ぞり使いだった
和田重次郎。

あまり知られていませんが、明治から大正に
かけて海外で活躍した人物です。

経歴が波乱万丈!

重次郎は愛媛県の出身。

幼くして父が亡くし、母・セツとともに
現在の松山市日の出町に身を寄せて
いました。

17歳の頃にアメリカに密航。

その前の年に「アメリカに渡る。
住友になる」と言い残して松山を
飛び出していたのだそうです。

いわゆる「ビッグになるぜ」と言い放って
田舎を飛び出したという感じでしょうか。

しかし、密航した先のアメリカで
捕鯨の補給船に売られて船員として
働かされます。

いきなり試練ですね。

その際、カナダのイヌイットと交流し、
犬ぞりとも出会ったのだそうです。

船員としての契約が終わった後、アラスカに
行って狩猟を行い、毛皮を売る交易を
始めます。

その後、一旦日本に帰国後、再び渡米し
補給船の船員となり、遭難した捕鯨船を
救助。

しかし、助けた船も自分たちの船も氷に
閉じ込められ、食料が枯渇する窮地に。

そこで重次郎が得意の犬ぞりでカリブー猟を
行い、食料を確保。

乗組員の命を救ったのでした。

きっと当時の乗組員たちは全員、「こいつが
乗っててくれてよかった」と思った
でしょうね。

その後も重次郎は補給船の船員として
金鉱脈の発掘に従事。

アラスカ史上に名高いゴールドラッシュの
きっかけも作ったのだとか。

その後は毛皮商やアイディタロッド・
トレイルという道の開拓に携わったり、
鉱山開発・石油探査にも携わります。

晩年は鉱山開発に携わりつつ、その体験談を
米国で講演して回っていたのだとか。

米国・サンディエゴにて享年62歳で
亡くなりました。

それにしても明治期に海外に渡るというのは
今では想像できないほどに難しいこと。

前述のとおり、渡った先の米国ではまず
売り飛ばされましたし、アジア人ゆえの
ひどい差別にも遭っていたそうです。

それでも日本に逃げ帰ることなく
米国で天寿を全うした重次郎は
適応能力があったんでしょうね。

極寒のアラスカで犬ぞりを走らせていた
だけあって、相当な体力があったと
言われており、現地のマラソン大会でも
3度の優勝を誇っていたのだとか。

精神力も体力も人並み以上だった
ということでしょう。

16歳で家を飛び出し、日本にはほとんど
戻ることのなかった重次郎ですが、
渡米後も絶えず母・セツに送金を
続けていたのだそうです。

その送金は母の死が伝えられるまで続いた
そうですので、家を飛び出したただの
不良息子ではなく非常な孝行息子だったん
ですね。

子孫はいるの?

重次郎は1906年頃に結婚しており、
一人娘の日米子(ひめこ)を
もうけました。

近年になって重次郎の功績を顕彰する
動きが国内で高まり、その中で娘・日米子の
ひ孫にあたるヘザー・オヘアさんが見つかり
のちに来日を果たしています。

現在、母・セツの故郷で重次郎が幼少期を
過ごした愛媛県松山市日の出町に顕彰碑と
ブロンズ像が建立され、和田重次郎顕彰会
というNPO法人もあるのだそうです。

まさに海外で活躍した日本人の
先駆者的存在の和田重次郎。

その功績を永く語り継いでいって
もらいたいですね。

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