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宗義成(対馬藩主)の子孫は?元寇にも登場する宗家

   

李氏朝鮮との国交正常化交渉で国書偽造に
関わった対馬藩主の宗(そう)義成。

宗家はあの元寇の際にも活躍した
室町時代から続く家柄です。

明治以降は伯爵家

宗家の最後の藩主は16代目の
宗義達(よしあきら)。

のちに初代当主にちなんで「重正」
という名前に改名したそうです。

明治の版籍奉還で藩知事を務め、
廃藩置県で知事を免官となり、
外務省の役職の外務大丞に
任じられました。

明治17年には伯爵に
叙せられています。

伯爵位は江戸時代に石高の高かった大名家
に与えられますが、宗家は対朝鮮外交に
あたってきた家格が認められたことに
よるものだそうです。

特別扱いだったんですね。

その後、家督を継いだのが麗澤大学の
名誉教授だった武志(たけゆき)氏。

もともとの旧姓は黒田で、義達の弟の息子
つまり甥にあたります。

義達の嫡子が早世したために武志氏が
養子に入り37代目の当主となりました。

東京帝国大学文学部を卒業。

英語学者として研究者の道を
進みました。

戦後、麗澤大学で教授、外国語学部長、
学監などを歴任。

同大の学校法人「廣池学園」の理事を
務め、のちに名誉教授となりました。

李氏朝鮮の王女・徳恵と結婚しますが、
のちに離婚。

その後、再婚し2男1女をもうけています。

長男・立人氏、次男・中正氏はご存命で
宗家に縁のある祭事などには賓客として
招かれたりしているようです。

元寇で奮戦

2代目当主の宗助国はあの蒙古が
襲来してきた元寇で戦った人物。

対馬沖に現れた3万の蒙古軍に対し、
わずか80騎で応戦。

弓矢で奮闘し、将軍らしき相手を倒すなど
しますが、多勢に無勢で全軍戦死。

その後、上陸してきた蒙古軍に
島民の多くが殺害されたとのこと。

明治期に島民の請願で助国に
従三位が贈位されています。

わずかな手勢で島を守るために
奮闘したことが認められた
ということなんでしょうね。

外交に苦慮?

柳川一件では国書を偽造して
外交交渉にあたった宗義成。

交渉がこじれて戦争になったら
矢面に立つのは宗家。

幕府の顔色を伺いながら、かつ朝鮮の
顔も立てるというまさに板挟みのなかで
苦慮していたんでしょうね。

そんな窮地を救ってくれたのが
あの独眼竜・伊達政宗。

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に
義成の父・義智に大恩のあった
政宗が将軍・徳川家光にとりなして
くれたのだそうです。

柳川一件の元凶だった柳川調興は
昇進を目論んで幕府に偽造を告げ口した
まさに下衆の極みですけど、対してさすが
後世に名を残した伊達政宗。

男気を感じるエピソードですね。

以降、対馬は戦場になることなく
現在に至っています。

地理的に隣接する韓国や中国が
ちょっかいを出してくる対馬。

義成が国書を偽造してまで守った
国土を今後失わないように、
政府には気をつけてもらたいですね。

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