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鈴木貫太郎の子孫は?聖断で日本を救った名宰相

   

太平洋戦争中、最後の首相を務めた
鈴木貫太郎。

軍部の反対を押し切って終戦させた
救国の宰相でした。

子孫について

鈴木貫太郎には一(はじめ)という
息子がいました。

農林省山林局長、侍従次長、外務省の
出入国管理庁長官などを務めた人物です。

その子が哲太郎さんとおっしゃり
戦後、メディアで祖父・貫太郎について
度々語っています。

著名な子孫として和歌山大学経済学部で
教授を務める足立基浩氏がいます。

貫太郎のひ孫に当たられます。

聖断の立役者

天皇の下した決断を「聖断」といいますが
一般的には終戦にまつわるポツダム宣言受諾
の際に下した決断を指します。

原爆投下、ソ連の侵攻といった局面にも
陸軍は「本土決戦」を主張するなど
一歩間違えば日本が崩壊する危機に
ありました。

紛糾する会議の中で議長の鈴木は
昭和天皇の判断を仰ぐことで
ポツダム宣言を受諾するに至ります。

このように天皇へ裁可を仰いだことは
鈴木が事前に根回し済みだった
と言われています。

じつは鈴木が首相に就任するにあたっても
昭和天皇から「頼む」と懇願されたほか、
昭和天皇の母である貞明皇后からも
「どうか陛下の親代わりになって」と
頼まれていたのだそうです。

過去には宮中での侍従長を務めており、
昭和天皇とはもともと非常に親しい
間柄だったんですね。

そんな鈴木だからこそ
軍部の反対を切り抜けて
終戦までこぎつけることが
できたと言っていいでしょうね。

最後の侍だった!

鈴木貫太郎の生まれは1868年。

旧暦で慶応3年、つまり江戸時代の生まれ
だったんですね。

ちなみに江戸生まれの首相は
鈴木で最後なのだそうです。

首相に就任して間もなく敵国・アメリカの
ルーズベルト大統領が死去した際には、
短波放送で深い哀悼の意を表しました。

戦時中にもかかわらず敵国に敬意を払う
鈴木のこの行為は世界に感銘を与えました。

まさに最後の“侍”ですね。

不死身伝説がすごすぎる

二・二六事件など2度の暗殺未遂を
経験している鈴木貫太郎。

二・二六事件では脚と胸と頭を
撃たれましたが生還。

よほど当たり所が良かったんですね。

じつは小さい頃から死にかけた
経験が豊富だったのだとか。

3歳の頃には馬に蹴られ、釣りをしては
川に転落、海軍時代にも船から転落する
など、まるで何かに憑かれていたみたい
ですね。

それでも死ななかったというのは
運だけではなく生命力そのものが
強かったのかもしれませんね。

ちなみに1948年に肝臓ガンで亡くなりますが
火葬した際に二・二六事件で受けた銃弾が
遺灰からみつかったのだとか。

壮絶な人生を物語る逸話ですね。

戦後、日本全土が焦土と化さなかったのは
鈴木が暗躍した聖断があってこそ。

その功績は後世に語り継がれるべきもの
と言っていいでしょうね。

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