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高村光太郎の家系図・子孫について

   

高名な詩人・彫刻家でもある
高村光太郎。

ブロンズ塑像の「手」や「裸婦坐像」、
詩集「智恵子抄」などは教科書でも
お馴染みです。

高村家の家系図

高村家家系図

光太郎には弟のほかに妹も
いたようです。

父・高村光雲

光太郎の父は近代日本の木彫の祖とも
呼ばれる高村光雲。

仏師、彫刻家として活躍し、代表作は
上野恩賜公園にある「西郷隆盛像」、
皇居前広場にある「楠公像」、
また国の重要文化財にも指定されている
「老猿」など。

これらもやはり教科書でもお馴染みの
作品ばかりですね。

1852年、江戸時代の嘉永5年生まれ。

江戸の町人の子として生まれますが、
祖先は鳥取藩士だったとのこと。

11歳の頃に仏師・高村東雲の徒弟となり、
のちに東雲の姉エツの養子となったことで
「高村」姓になったそうです。

東京美術学校(現・東京芸術大学)に勤務し
のちに名誉教授にもなりました。

弟・高村道利

光太郎の下である弟・道利は
かなり変わった人だったとのこと。

海軍に入ろうとするも父の反対に遭って
東京外語大学に進学。

大学卒業後は就職しないまま渡欧。

音信不通になっていたところ、
日本大使館からフランスの病院に
入院しているとの一報が。

ふらっと海外に出て行ったと思ったら、
旅先で行き倒れていたんですね。

帰国したときには父も母も他界していた
そうで、これまたなんとも親不孝。

帰国後は弟の豊周の厄介になったまま
その生涯を閉じたとのこと。

まぁつまりは元祖のニートだった
ということですね。

道利の死後、光太郎は弟・豊周に
大変感謝していたそうですが、
逆に道利の遺体に向かっては
罵倒しまくったのだとか。

まぁ同情の余地はないですけど、
偉大な父と同じく高名な兄を持った弟
というのも相当プレッシャーがあった
のではないでしょうか。

憶測ですが、それで性格歪んでしまった
のかもしれませんね。

末弟・高村豊周

光太郎の末弟にあたるのが
高村豊周(とよちか)。

鋳金家で人間国宝でもあった人物です。

父と同じく東京美術学校の教授も
務め、のちに金沢美術工芸大学名誉教授
にもなっています。

あの与謝野鉄幹・晶子夫妻に短歌を師事し、
歌集も出しているのだとか。

兄・光太郎や義姉・智恵子の顕彰に努めた
ことでも知られています。

前述のニートの次兄を養ったことからも、
兄思いの弟だったのかもしれませんね。

息子の高村規(ただし)氏(故人)は
写真家で日本広告写真家協会の会長を
務めた人物。

祖父・光雲や伯父・光太郎の作品鑑定も
行っていました。

規氏の長男である達(とおる)さんも
現在、写真家として活動されている
ようです。

光太郎には子供はいませんでしたので、
子孫とは言えないまでも、現在の近しい
縁者ということになりますね。

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