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真珠湾攻撃に関わったスパイ・吉川猛夫の生涯

   

太平洋戦争の幕開けとも言える真珠湾攻撃。

ハワイ・オアフ島にあったアメリカ海軍の
基地に日本海軍が奇襲攻撃。

アメリカ太平洋艦隊の戦艦8隻を撃沈
または損傷させる戦果を上げて奇襲は
成功しました。

じつはこの奇襲攻撃を仕掛けるにあたり
事前偵察を念入りに行っていたのが
海軍少尉の吉川猛夫でした。

偽名でスパイ活動

1941年ホノルル領事館に外務省書記生を
装って赴任。

その時に名乗っていた名前が「森村正」。

真珠湾に足繁く通って本国へ情報を
送っていました。

さすが本物のスパイ。
拾ったタクシーの運転手に何気なく海軍の
話題を振って情報を引き出すといった映画や
ドラマそのままの諜報活動を展開。

内部事情に詳しい運転手もいて、上手く乗せて
あげることであれこれ得意になってしゃべって
くれたのだとか。

さらにホノルルにあった日本料亭「春潮楼」
にもよく通っていたそうです。

じつはこの料亭の2階からは真珠湾が
一望でき、望遠鏡を使ってよく軍港を
眺めていたのだそうです。

当然、店の人間には自分がスパイだとは
悟られないように店の芸者にハマった
だらしない駐在員を装っていたのだとか。

今の日本じゃ考えられませんが、
昔は本当にこういうスパイが
いたんだなぁと思いますよね。

ただ、ちょっとこの人の自己顕示欲を
窺わせるのが、芸者たちに対して自分は
「大石内蔵助だ」と言っていたこと。

大石内蔵助も吉良上野介を油断させる
ために料亭で芸者を上げて放蕩三昧をした
といいますから、暗に自分も同じだと
言いたかったんでしょう。

スパイとして潜入して本国に打った電報は
じつに170通以上。

最後の電報は真珠湾攻撃の6時間前と
言いますからけっこう直前まで諜報活動を
していたんですね。

FBIに拘束される

太平洋戦争の開戦と同時に吉川と
他の総領事館員はFBIによって
拘束され、収容所に送られたのだ
そうです。

しかし、吉川は運良くスパイだと気付かれる
こともなく、1942年に日本へ帰国。

これで真珠湾攻撃に関わったスパイだと
気付かれていたら、ただでは済まなかった
でしょうね。

1944年に召集解除され、終戦の年まで
日立製作所に勤務していたそうです。

終戦後は郷里の愛媛県松山市に戻り、
80歳で生涯を閉じるまで過ごしています。

実際に吉川によってもたらされた情報は
真珠湾攻撃を仕掛けるあたって大きな役割を
果たしました。

アメリカにとっては憎き仇敵のはずですが、
吉川が東京裁判などで裁かれることは
ありませんでした。

スパイ活動が秘匿されていたからかも
しれませんが、命を落としかねない
スパイという任務に就いて80歳の天寿を全う
できたのは幸運でしょう。

戦後、自身のスパイ活動を記した著書を
何冊か出版しています。

自分がもたらした情報によって多くの
アメリカ人の命を奪ったことや日本が無謀な
戦争に突入してしまったことはその生涯の
中で悔んだこともあったかもしれません。

歴史の中で暗躍したスパイ

スパイなど陰で暗躍した人物たちが歴史の
重大な事件に絡んでいるというのは
授業では習わない実に興味深い事実ですね。

吉川猛夫も無名でありながら歴史を
動かしたキーパーソンの一人と言っていいの
かもしれませんね。

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